2009年3月

史上最高の897億円に=サッカーくじ売上額

コメント(6)

サッカーくじがこれだけ売れてあなたはどう思いますか?

ヤフーニュースの記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090330-00000125-jij-spo 
日本スポーツ振興センターは30日、スポーツ振興くじ(サッカーくじ、愛称toto)の2008年度売上額が史上最高の897億4142万3500円に 達したと発表した。約656億円を売り上げた最高当せん金6億円のBIG(ビッグ)がけん引し、過去最高だった01年度を250億円以上上回った。この結 果、地方自治体やスポーツ団体への助成金は100億円以上を確保できる見通しとなった。

僕は宝くじもギャンブルだと思っているので買わないことにしてます。

サッカーも20年以上やってきています。

宝くじが売れたおかげでスポーツ界にお金が入ります。

さあ、このことは何を指しているのでしょうか。

あなたの意見は?


僕の考えでは、要するに日本のどこかの普通の子供達がスパイク一つ買ってもらえるお金をお父さんがサッカーくじに使ってしまって買ってもらえなくなった。

そのお金の一部で一流選手の助成金に使われる。

残りは税金と配当金。

本当のスポーツの精神を踏みにじる行為だと僕は思うんですがね。

スポーツを楽しむって事はこんな腐ったくじじゃあ育たないんだと思います。

WBCでもっとも活躍した人

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最近、お堅いというか、一般の人には読みずらい記事ばかり書きました。

まあ、意図して書いてます。

たまには一般には難しくて受け入れられない事も主張したいと思います。

自分が主張したいことがあるときというのは、人に読まれるかどうかと言うことよりも、

魂の入っている文章かどうかが結局は重要になってきます。

結局誰かの心に響くのは魂の入っている文章です。

誰か一人の心にでも届けば良いのです。

1000人読めば一人くらい心に響くでしょう。

僕は魂の入っている文章にこだわっています。

もちろんこだわりつつも楽しい記事をめざしますが。


ところでWBCで日本が優勝しました。

僕は疲れていて決勝だけ観ることができませんでしたが、すばらしい試合だったようですね。

このWBCで一番貢献したのは原監督だと思います。

やっぱり苦労して、地道に実力をつけてきた人は選手の気持ちがわかるのでしょう。

イチローが最後に活躍しましたが、ほとんどの試合では活躍できない状況でした。

以前巨人の4番バッターとして期待をかけられながら活躍ができなかった日々も経験してきた原監督にはイチローの気持ちが良くわかったことでしょう。

そして不調の中イチローは一本の普通のヒットでさえ、喜びをかみ締めていたのが印象的です。

努力したことがすべて結果となって現れるわけではありませんが、努力したことは実力となって自分の中に残っているんだなと思いました。

最後には負けてしまいましたが、韓国の選手達も思いっきりやったと言う満足感があったんじゃないでしょうか。

今回の結果は日本に軍配が上がりましたが、次には必ず巻き返してくると思います。
その時の決戦がますます楽しみです。
そのうちアメリカやカナダ、キューバなど良い選手を抱えている国も本気を出してくるかもしれません。

こうやって歴史が生まれるんだなと言ういい大会でした。

素直に負けを認める

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真剣勝負をしない人は素直に負けを認めることができないんです。

人生を本気で生きていない人たちですね。

感動の薄っぺらい人たちですから、

数字が揃って玉がたくさん出るとか、

自分の予想した数字が入るとか、

チャートがあがったり下がったりするだけで喜んだりできるんです。


その点、自分の実力で本気の勝負をしている人達は、

自分が負けた時には素直に負けを認め、相手のアドバイスを聞く耳を持つことができます。

そして、実力をどんどん伸ばすことができます。


自分の実力をつけて成功した時の感動はすばらしいものがあります。

たとえそれが小さな成功だったとしてもゆるぎない誇りを持つことができます。


ここは禁ギャンブルのブログですが、ギャンブルをやっている人はとことん本気でやってみることをオススメします。

本気でやってみたら何か見えてくると思います。

ギャンブルも中途半端にやっていると時間がもったいないですよ。

ギャンブルで一億円儲けるつもりならぜひ死ぬ前に儲けてください。

大目に見てあげる 大目に見てもらう

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人とつきあう時に大事な視点として

大目に見てあげる

と言うことがあります。

こういうと、上から目線だと言われることがあります。

しかし、大目に見てあげると言うことは

大目に見てもらう

と言う下から目線を持つということでもあります。

この2つの視点が受け入れられないと、他人と付き合うことができないと思います。


誰だって優れているところと劣っているところがあります。

あなたと誰かを比べた時に、いろいろな面で必ず優劣があります。

相手の劣っている点を大目に見てあげれば、自分の劣っている点を大目に見てもらえます。

面白いことに人の劣っている点は気づきやすいですが、自分の劣っている点は気づかないことがしばしばです。

なぜなら、自分が優れている点はそれなりに努力をしたり、意識したりして改善してきたことだからです。

劣っていることは気づいていないから劣っているまま放置されている場合がおおい。

相手の劣っている点を大目に見てあげていないと、自分の劣っている点を大目に見てもらえなくなってしまいます。

人の劣っている点ばかり攻撃していては相手もあなたの劣っている点を許してくれなくなるでしょうね。

そうなったらののしりあいの連続です。

口にはしなくても心の奥底でののしっているはずです。

結局自分のしたことは自分にはね返ってくるということです。


こういったことは親から子に伝わります。

自分の失敗を大目に見てもらえない環境で育った子供は人の失敗を大目に見ることができません。

失敗を大目に見てもらえない子供は失敗を恐れて何もできない大人になってしまいます。

そして、他人の失敗を許さない人間になるわけですから恐ろしいことになります。

そして、自分に跳ね返ってきて人が嫌いになってしまいます。

そして、自分自身も嫌いになってしまうのです。

あなたの人生運が良かった?悪かった?

コメント(2)

質問です。

あなたの人生を振り返って見て

運が良かったでしょうか?

運が悪かったでしょうか?


運の良し悪しというのはどういうことなんでしょうかね。

例えば

パチンコで当たった。→パチンコにはまった。

パチンコで負けた→パチンコにはまらなかった。

どちらが運がいいでしょう。

人間万事塞翁が馬

と言う言葉があります。

運が良かったとある時は思っても、後々考えると運が悪かったと思うかもしれない。

運が悪かったと思っても運が良くなるかも知れない。

運なんて本当は自分が感じているだけで、そんなに変わらないんです。

運が良かったか悪かったかなんて考えるのは結局自分の心がけ次第なんです。

どうせなら自分が運が良かったと思って生きているほうがいいんです。

いろんな人に出会い、育てられ、ここまで生きてきました。


上の例で言えば、

パチンコで当たった→パチンコにはまった→パチンコをやめた

こうすれば運なんて関係ない。

もっと言うなら、

パチンコをしなかった→無駄な時間を使わなかった。

これが一番ですがね。

結局自分で選択しているんですよ。

ギャンブルやめれて運が良かった~

そう思うといろんな人に感謝する気持ちが生まれてきます。

あなたは自分に才能がないと嘆きますか?

僕は自分に才能がないけど自分を最大限に活かして生きていくにはどうしたらいいんだろうと、いつも考えています。

そう考えれる自分は運が良かったと思います。

レースはたくさんある。なければ作ればいい。

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正しい評価をする

という事が大事だと昨日の記事で書きました。

これは結構難しい。

正しい評価をされる事なら人間はがんばれます。

逆に言えば自分も人を正しく評価しないといけない。

正しい評価をするためには、人の言っている事を鵜呑みにするのではなく、頭を使って常に考えなければいけません。

間違っていたっていいんですよ。

世の中間違った価値観ばかりなのだから、考えて発現、実行する事で少しでもましになれば、ちょっとづつ改善していくと思います。

昨日タカビーさんからこんなコメントを頂きました。

>ただし今の世の中は、レースにさえ参加できないことが
多くなっています。

なるほど。
しかし、これは依存する考え方だなと思いました。

僕も、レースに参加できない。まじめに働いても評価されない。活躍の場がない。
このことについてはすごく悩んでいるし、社会の無情を感じています。
派遣社員で首を切られた方などは相当苦しい思いをしている事だと思います。

しかし、それは自分の目指しているレースを限定している場合だと思います。
評価されないレースは捨てて評価されるレースを選べばいいのです。
レースはたくさんあります。それをみていないだけです。

例えば受験勉強。
頭の良さを競うレースです。
これが得意な人はこれで競えばいい。
簡単な事ですよ。
人よりも勉強して知識をつければいい。
そういう努力をできない人が偉そうな事を言っても駄目です。
ちゃんと評価をしてもらえるんですから。
ただ、経済的な基盤とか、そもそも頭が悪かったとかいろいろな理由でそのレースに参加できなかったとします。参加しても評価が低かったとします。
なら、別のレースを探せばいい。
お金を稼ぐレースか、人に慕われるレースか、なんでもいい自分の得意で評価の高いレースを見つける。
アイデアしだいで自分を活かせるレースというものはあるはずです。
誰にだって。
なければ自分でレースを作ればいい。
ただそれだけのことです。
そこが知恵の使いどころです。

他の例で言えば
好きな人ができたとします。
告白したとします。
振られたとします。
その人は自分を評価してくれなかった。
なら別の好きな人を探せばいいだけじゃないですか。
「自分がその人に好かれたい」という気持ちに依存するから停滞するわけです。

ギャンブルなんてめちゃめちゃ不利なレースに参加するのも人の自由です。
どんなレースに自分が参加するか自己責任です。
一つのレースにこだわって参加するのも自己責任だと思います。

親や先生がこのレースに出なさい。
と言ったから自分は不幸だったとか、周りの人がいいレースを教えてくれなかったという理由も無しだと思います。

親だって大人だって総理大臣だってみんなアホなんだから簡単に信じちゃいけないし、納得していない事には従ってはいけないんですよ。
とことんまで努力した事がある人ならすぐに気づくことかもしれませんね。

あなたはもしかしたらギャンブルに失敗してこれを読んでいるかもしれない。
失敗した時はチャンスですよ。
打ちのめされて人は初めて反省できて、間違ったレースに参加していた事に気づけるわけですから。
気づかないで一生終わる人だっている。

僕はがっと何でものめりこんでやるタイプです。
ギャンブルも一時期のめり込んでやりました。
だから、アホらしい事にすぐ気づきました。
タカビーさんのブログに出会ったのもラッキーでしたね。

評価するという事は本当に良く考えないといけません。
今の僕はギャンブルを止めようと努力している人は100点の評価をしますが、
ギャンブルで勝とうとしている人は-100点です。
逆の立場の人なら真逆の評価をするでしょう。
どっちが正しい評価と思うかはあなたが決めなければいけません。

僕はギャンブルの本質を知るという競争ではかなり上位にランキングするはずですから、僕の言っていることをよく考えて理解したほうがいいですよ。
10年後にしまった!
なんてことにならないように。

正しく評価するという事

コメント(2)

僕はいろいろなところで書いているが、競争や比較はどんどんやるべきだと思う。

これをやらずして、自分の立場や力関係、何をするのかをどう決めるというのだろう。

比較しないで自分が何が得意なのか、自分に何の才能があるのか分かるはずがない。

そして、自分の本当にやりたいことも見つからないまま人生が終わってしまう。


ただ、いつも書いているのだが、

正しく評価された上での競争」が必要である。

(↑この正しく評価するというところをみんな理解してくれないのである。)


正しく評価するかどうかがあいまいになっているからゆがんでしまっているんだと思う。

実力がないのに褒められたら、「自惚れ」を産む。

実力があるのに評価されなかったら「ひがみ」を産む。


分かりやすいように具体的な例を挙げる。

スポーツ選手はその競技がちゃんとしたルール上で行われるから、ちゃんと実力が評価されている。

例えイチローでも打てなかったら評価されない。

そこには実力しかない。

だからみんな感動するし、実力をつけるためにがんばれる。

イチローだって打てなかったら実力がないとあきらめるしかないのである。



麻生首相の漢字問題

漢字が読み間違えたとかどうとかうるさく言われている。

おかしいんじゃないのと思う。

麻生首相は漢字の博士になるわけでもないんだから、漢字の間違いをあんなに報道して、またおかしなことにその議論に麻生首相も乗っかってしまっている感がある。

時間の無駄だよ。

「漢字の間違いなんて政策に何の関係もありません。」

とやりゃあいいわけだ。

政策をするのが仕事なんだから、日本語に少々不自由があったっていいわけだ。

首相を評価するなら政策でやるのが筋だろう。

僕が麻生首相の立場だったら、漢字を新しく500覚えるより、新しく500人の人が幸せに暮らせる政策を考える。

それができないんだったらさっさとやめちまえばいい。


ちゃんとした評価をするためにはよーく考えないといけない。

そしてちゃんと評価されているかどうかもよーく考えないといけない。

ちゃんと評価されない競争をする必要はない。

ギャンブルが正統に評価されている物事なのかどうかは簡単にわかる事である。

対人恐怖症とは

コメント(2)

ギャンブル依存症になられる方にもいくつかパターンがありますが、対人恐怖症を背負われている方が多い。

対人恐怖症というと、みんな人をひどく怖がって誰とも会うのが嫌になる状況だと思うかもしれない。

しかし、僕は対人恐怖症というのは、ある特定の人に対して感じたり、ある特定の状況でなったりするものだと考えている。

ちょうど、スポーツで緊張しすぎていいプレーができなくなるような状況と同じだと思う。

誰でもなりうる精神的なトラブルだ。

そして、人が怖い、嫌だと強く感じるようになったら余計、身動きできなってしまうのではないでしょうか。

僕は普通だれでも対人恐怖症的な側面を持っていて、普通に生活している人たちも日常生活に支障が無い程度だったり、うまく避けて生きているだけだと感じている。

もし、対人恐怖症的な側面が無ければ人はもっと自由に自分の意見を発したり、もっと人前にでて堂々と意見が言えるようになると思う。

これが日本人は苦手な人がすごく多いと思う。

日本人はみんな普通に暮らしているように見えて能力の50%以上は対人恐怖症で発揮できていない状況なのではないでしょうか。

僕は、日本の教育や子育ての環境が非常に対人恐怖症的な人間を育ててしまっていることに気づき始めた。

ここでいろいろな事を論じても話が見えにくくなるので、今日はこの辺でやめときます。

今日の要点は、誰でも対人恐怖症の側面を持っているということです。



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